サクビトリルバルサルタン ( エンレスト ®︎)はサクビトリルとバルサルタンをそれぞれ含む高血圧症、慢性心不全に保険適用のある医療用医薬品です。
今回の記事では、化学構造式の観点からサクビトリルバルサルタンの性質や作用のメカニズム、薬物動態などをサクビトリルとバルサルタンで比較して解説します。
ネプリライシン(NEP)とは?
サクビトリルバルサルタン( エンレスト®︎ )はサクビトリルとバルサルタンに解離し、それぞれNEP(ネプリライシン)とAT1(アンギオテンシンⅡタイプ1)受容体を阻害します。
NEPはナトリウム利尿ペプチドやブラジキニン、アンギオテンシンⅡなどのペプチドを切断する酵素で、サクビトリルの代謝物サクビトリラート(sacubitrilat)がNEPを阻害することにより、ナトリウム排泄・利尿、抗心肥大、抗線維化、血管拡張などの作用を示します。
また、バルサルタンは AT1受容体を阻害し、 レニン・アンジオテンシン・アルドステロン系(RAAS)による血管収縮、体液貯留、心肥大に対し抑制作用を示します。
アンギオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬:ARNI
サクビトリルバルサルタン( エンレスト®︎ )はサクビトリルとバルサルタンに解離し、それぞれNEPとAT1受容体を阻害します。
NEPはナトリウム利尿ペプチド、ブラジキニン、サブスタンスP、グルカゴン、アンギオテンシンⅡなど血管作動性のペプチドを分解する酵素で、サクビトリラートがNEPを阻害することでこれらのペプチドの分解が抑えられ、心血管系への負担を軽減します。
しかし、NEPはアンギオテンシンやその前駆体にも作用し分解してしまうため、アンギオテンシン受容体拮薬も同時に投与する必要があり、NEP阻害薬単独ではあまり意味がないとされています。
アンギオテンシン受容体拮抗薬と同時に投与できるよう、サクビトリルとバルサルタンを共結晶にしたものがサクビトリルバルサルタン(エンレスト®︎)です。
ここで、共結晶化とは難水溶性化合物の溶解性の改善を期待できるもので製剤工夫の一つです。
バルサルタンはARBであり、過去記事でも紹介しているのでそちらもご覧ください!
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【アンギオテンシンⅡ受容体拮抗薬(ARB)とファーマコフォア】化学構造式で相互作用の強さを比較!
サクビトリルバルサルタン ( エンレスト®︎ )の化学構造と特徴
では、化学構造式を確認してみましょう!
構造式を見るとわかりますが、実はなんとなく似ているんですよね。
ただ、NEPとアンギオテンシンⅡ受容体のアミノ酸配列やタンパク質立体構造の違いから、それぞれに選択性・特異性があるようです。
サクビトリルの方はカルボン酸をエステル化したプロドラッグで、脂溶性を高めることで経口吸収効率が改善し、体内のエステラーゼ(加水分解酵素)による加水分解で代謝活性物のサクビトリラートに変換され薬効を発揮します。
サクビトリラートとバルサルタン
次に、サクビトリルの代謝活性物であるサクビトリラートと、バルサルタンのもう少し細かい部分構造の役割を確認してみます。
サクビトリラートのキラル炭素についたメチル基を除いてしまうと約100倍も阻害活性が低下してしまうようです。
というのも、サクビトリラートの2つのキラル中心を持つ炭素鎖には、立体配置も含めてNEPにしっかりフィットさせ固定する役割があるため、このメチル基がないと結合力が大幅に低下してしまいます。
ビフェニル基は結合部位の深くに入り込み疎水性相互作用によって安定化する役割があります。
バルサルタンはその名の通り、アミノ酸のバリン(Val)が構造式中に含まれており、AT1受容体への選択性を高める働きがあります。
テトラゾールはカルボン酸のバイオアイソスター*(生物学的等価体)で、酸性度を変化させずに脂溶性を高める目的で導入され、ビフェニル基とテトラゾリル基をまとめた部分がAT1受容体拮抗作用の必須構造である「アドレスドメイン」となっています。
※バイオアイソスター(生物学的等価体):作用機序を維持したまま活性や受容体選択、物性(安定性や溶解性)、薬物動体などを変化させる置き換えが可能な官能基のこと。
これらは他のAT1受容体拮抗薬(ARB)にも共通して見られる構造なので確認してみてください。
【アンギオテンシンⅡ受容体拮抗薬(ARB)とファーマコフォア】化学構造式で相互作用の強さを比較!
サクビトリルバルサルタン の物性
少しだけ物性も見てみます。
インタビューフォームを参考にそれぞれのpKaとlogDの値を載せてみました。
測定条件にもよるもののpKaはおよそ近い値で、腸内pHではいずれもほとんどイオン形として存在しているでしょう。
脂溶性の指標であるlogDはサクビトリルで1.29と水に溶けにくい脂溶性化合物であることがわかりますが、バルサルタンはlogDが−1.49で水溶性と考えられるにもかかわらず実際は水に溶けにくいようです。
おそらく結晶の関係でこのような性質になっていると思われます。
こうしたことから、これらは「共結晶」という形で、結晶形態を変化させることで溶解性を高める製剤工夫がされているのです。
サクビトリルバルサルタン と バルサルタン
サクビトリルバルサルタンとバルサルタンの含有量や薬物動態も比較確認しておきましょう!
サクビトリルバルサルタン に含まれるバルサルタンはどれくらい?
サクビトリルバルサルタンの錠剤の規格には50mg、100mg、200mgがあります。
エンレスト®︎(1錠中) |
サクビトリルバルサルタン |
サクビトリル | バルサルタン |
50mg | 56.551mg | 24.3mg | 25.7mg |
100mg | 113.103mg | 48.6mg | 51.4mg |
200mg | 226.206mg | 97.2mg | 102.8mg |
エンレスト®︎小児用(1個中) | |||
31.25mg | 35.340mg | 15.18mg | 16.07mg |
12.5mg | 14.136mg | 6.1mg | 6.4mg |
一応、比較のためにエンレスト®︎小児用の各有効成分の含有量も載せました。
サクビトリルバルサルタンは成人も小児も、慢性心不全に保険適用する際の用法は1日2回です。
200mg規格には102.8mgのバルサルタンが含まれており、1日2錠内服するとバルサルタン単剤の1日最高量160mgを超えることがわかりますね。
サクビトリルバルサルタン の薬物動態とACE阻害薬の切り替え
薬物動態も確認してみましょう!
サクビトリルバルサルタン(単回経口投与) |
バルサルタン単剤 |
|||||
200mg | 400mg | 80mg | 160mg | |||
サクビトリラート |
バルサルタン(102.8mg) |
サクビトリラート |
バルサルタン(205.6mg) |
|||
Cmax(ng/mL) | 8,480 | 3,980 | 16,200 | 7,400 | 2,780 | 5,771 |
Tmax(h) | 2.0 | 1.5 | 3.0 | 2.0 | ||
AUCinf(ng•h/mL) |
71,800 | 22,220 | 138,000 | 42,900 | 19,800 | 38,915 |
T1/2(h) | 13.4 | 18.9 | 12.1 | 12.6 |
表を見てもわかるように、サクビトリルバルサルタン400mg/日におけるバルサルタンの血中濃度とAUCが最も高く、バルサルタンに限って見れば単剤の1日最高用量を超えることになります。
サクビトリルバルサルタンとACE阻害薬の切り替えの間隔が「36時間」となっているのは、血管浮腫の副作用を避けるため、サクビトリラートとACE阻害薬の半減期をそれぞれ約12時間とした時の3倍を目安にしているからです。
半減期3回分なら血中濃度は理論上1/8(=12.5%)まで下がっていることになります。
しかし、ACE阻害薬の中でもペリンドプリル(コバシル®︎)の活性代謝物であるペリンドプリラートの半減期は二相性で4mg:57h、8mg:105hと長く、36h後でも体内に半分以上の血中濃度で残存していることに注意が必要です。
参考:
・エンレスト®︎医薬品インタビューフォーム
・Nikolaus Schiering et al. Structure of neprilysin in complex with the active metabolite of sacubitril. Sci Rep. 2016.
・Jelena Đorović Jovanović et al. In silico study of inhibitory capacity of sacubitril/valsartan toward neprilysin and angiotensin receptor. RSC Adv. 2022.
・Toshio Kawanami et al. Structure-Guided Design of Substituted Biphenyl Butanoic Acid Derivatives as Neprilysin Inhibitors. ACS Med Chem Lett.2020.
・彦惣 俊吾 坂田 泰史「ARNIとACE阻害薬・ARB」日内会誌 111:221-227, 2022
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